ひづめ館って何?

そもそも、ひづめ館って何なのでしょう?

ひづめ館(ひづめだて)とはひづめさんが住んでいた館のことです。ひづめさんは約800年前に今の岩手県紫波町日詰箱清水あたりに屋敷を構え住んでいました。 ひづめさんは資料によると比爪、樋爪、火爪など色々な漢字が使われていましたが読み方はみな同じです。
ひづめさんは有名な奥州藤原氏の一族で初代の藤原清衡(きよひら)の四男清綱が平泉の北の守りとして屋敷を構えた。そして息子の俊衡(としひら)と弟の季衡(すえひら)がひづめを名乗ったのが始まりです。
下の系図は室町時代初期にできた尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)というものです。ここでは火爪になっている。



樋爪氏系図

国立国会図書館デジタルコレクション 新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集.5 P-67より 吉川弘文館 明治36年8月発行

リンク 新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集5(表紙が出たら左上のコマ番号に35を入力)



ひづめ館俯瞰図

平泉と並び立つ「比爪」の実像を探る(表紙より)

資料 樋爪館跡『全国の"樋爪さん"大集合in紫波』より



ところが・・・!
鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)が東北に攻めて来て平泉の武士達と戦になり、おどろいた樋爪俊衡(ひづめ としひら)は屋敷に火を掛け逃げてしまいます。けれども逃げ切れないと悟り頼朝に降伏します。俊衡(としひら)はお経を唱える以外は一言もしゃべらなかった。その事を家臣から聞いた頼朝は俊衡を許す事にしたが家族はバラバラに流罪となりました。



ひづめ館俯瞰図

比爪館遺跡配置図 平泉と並び立つ「比爪」の実像を探る(P13より)



という訳でひづめ館(ひづめだて)は燃えてしまい今では跡形もありません。だけど発掘調査が行われるとその全貌が見えてきて学者さん達が驚いた!世界遺産になった平泉の柳之御所(やなぎのごしょ[拡張資産・暫定リスト])と同じくらいの規模だったからです。



看板

赤石小学校脇にある紫波町教育委員会の看板

「ひづめ」って珍しい言葉ですけど元々はアイヌ語で「川辺の港」という意味でピッツ・ムィから来たみたいです。

案内板

五郎沼にある案内板

ひづめさんの子孫は各地に流罪となりひっそりと暮らしていて、現代にもその子孫の方々がおられます。ひづめさんの中で一番多いのが日詰さんです。この字は東北本線日詰駅と同じで紫波町日詰として名前が残っています。次に多いのが樋爪さんです。少数派では樋詰さん、火爪さん、日爪さん、肥爪さんなどです。不思議なことに岩手県にはひづめさんは居ません。また資料の「吾妻鏡」には比爪という文字が出てくるのですが、この字のひづめさんはいらっしゃらないようです。



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